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TOKIOのメンバープロフィール紹介!経歴やグループの魅力、解散後の活動について徹底解説

TOKIOのメンバープロフィール紹介!経歴やグループの魅力、解散後の活動について徹底解説

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TOKIO(トキオ)とは?

引用:音楽ナタリー

TOKIOは、1994年にシングル「LOVE YOU ONLY」でCDデビューした男性アイドルグループです。ジャニーズ事務所(現:SMILE-UP.)からデビューし、アイドルでありながら自ら楽器を演奏する“バンド形態”のスタイルで活動してきました。代表曲には「LOVE YOU ONLY」「AMBITIOUS JAPAN!」「宙船(そらふね)」などがあり、幅広い世代に親しまれています。

音楽活動だけでなく、テレビでも大きな存在感を発揮してきたのが特徴で、特にバラエティ番組『ザ!鉄腕!DASH!!』は、メンバーの素朴さや挑戦する姿が人気を集め、長寿番組となりました。

メンバーは城島茂(リーダー)、国分太一、松岡昌宏の3人で、かつては長瀬智也や山口達也も在籍していました。

2021年には「株式会社TOKIO」を設立。音楽やテレビにとどまらず、地域や社会に根ざしたプロジェクトにも積極的に取り組んできました。デビュー以来、アイドルの枠を超えて独自の存在感を築き上げたTOKIOは、長年にわたって愛され続けてきたグループです。

TOKIOの活動経歴

ここからは、TOKIOの活動経歴を年代ごとにまとめてご紹介していきます。

結成からCDデビューまで

TOKIOの前身は、1989年に城島と山口が結成した「城島茂バンド(ジョーバンド)」で、さらに前身ユニットとして「JURIA」も存在しました。その後、ジャニー喜多川により「TOKIO BAND」と名付けられ、現在のTOKIOの原型となります。

1990年4月に国分と松岡が加わり、城島を中心とした最初の「TOKIO」を結成。小島啓の加入や山口の復帰を経て5人組となり、1992年頃から長瀬がサポートメンバーとして参加しました。デビュー前はバンドチームとダンスチームの2グループ制で、バックダンサーやバックバンドとして活動し、ミュージカル出演経験も持っています。

1993年にはNHK-BS2『アイドルオンステージ』にレギュラー出演。1994年1月の全国ライブツアーを経て、5月に小島の脱退で長瀬が正式加入し、以後5人編成で約24年間活動することになります。そして同年9月21日、シングル「LOVE YOU ONLY」でCDデビュー。当時のキャッチフレーズは「ダテに待たせたワケじゃない」で、デビュー曲はTOKIO最大のヒットシングルとなっています。

デビュー後から2010年代前半までの活動

1994年11月、CDデビューからわずか2か月で日本武道館コンサートを開催。12月には『NHK紅白歌合戦』に史上最速で出場し、その後2017年まで24回連続出場を果たしました。1995年には冠番組『ザ!鉄腕!DASH!!』がスタートし、農業や漁業、環境保全など社会性のある企画で国民的な人気番組となりました。

1997年には阪神・淡路大震災のチャリティ活動として、J-FRIENDSを結成。1998年には『24時間テレビ』で初のパーソナリティを務めました。1999年には番組企画で「15minutes」と「ぴんく」という覆面バンドを結成し、インディーズCDを発売しています。

2001年以降はSony Recordsからユニバーサルミュージックに移籍し、シングル『メッセージ/ひとりぼっちのハブラシ』で初のオリコン1位を獲得。2003年には『AMBITIOUS JAPAN!』で再び1位を獲得し、東海道新幹線のチャイムにも採用されました。2004年にはデビュー10周年記念アルバム『TOK10』をリリース、オリコン1位を獲得しています。

2006年には『Mr.Traveling Man』や『Get Your Dream』をリリースし、『宙船』では中島みゆきとのコラボレーションを実現。2010年には『-遥か-』で再びオリコン1位を獲得し、『ザ!鉄腕!DASH!!』の企画「DASH海岸」が国土交通省から表彰されました。

2011年以降は、松岡が主演を務めるドラマや大型ライブイベントへの出演を重ね、2014年にはデビュー20周年を迎え、野外フェス『JOIN ALIVE』『サマーソニック』への出演や20周年記念ライブツアーを開催しました。『ザ!鉄腕!DASH!!』は依然として高視聴率を記録し、TOKIOの社会貢献とエンターテインメント性の高さを示しました。2016年には東京オリンピック・パラリンピックのフラッグツアーのスペシャルアンバサダーにも就任しています。

メンバー脱退とグループ解散

2018年には山口達也が不祥事により脱退、2021年には裏方の仕事を希望した長瀬智也が脱退し、最終的に城島茂・松岡昌宏・国分太一の3人体制へと移行。残った3人は株式会社TOKIOを設立し、芸能活動の傍らでそれぞれ取締役も兼務していました。

2025年6月20日、国分のコンプライアンス違反が発覚したことを受けて、『ザ!鉄腕!DASH!!』から降板し、同時に国分の無期限活動休止が発表されました。

城島と松岡は話し合いを重ねたうえで、グループの活動に区切りをつけることを決断し、同年6月25日には正式にTOKIOの解散を発表。あわせて、メンバー自身が設立した「株式会社TOKIO」も残務整理を経て廃業する方針が決定しました。

TOKIOのメンバープロフィール

ここからは、TOKIOのメンバーのプロフィールを解説していきます。

まずは、最終メンバーの3人からご紹介していきましょう。

城島茂(じょうしま しげる)

引用:STARTO ENTERTAINMENT

生年月日:1970年11月17日

年齢:54歳(2025年8月現在)

出身地:奈良県

血液型:O型

星座:さそり座

メンバーカラー:緑

入所日:1986年7月7日

TOKIOのリーダーとしてグループを牽引してきた城島茂は、現在はテレビ司会者としても活躍しており、情報番組やバラエティ番組で活躍を続けています。

テレビで少年隊のパフォーマンスを見て感銘を受け、芸能界を志した城嶋は、ジャニー喜多川から直接スカウトを受けてジャニーズ事務所(現:SMILE-UP.)に入所しました。

生粋の愛されキャラで、リーダーでありながらいじられ役という立ち位置は、グループの枠を超えて、TOKIO・V6・KinKi Kidsで結成されたJ-FRIENDSの中でも確立されていました。

非常に優れたギターテクニックを持っており、TOKIOのバンドスタイルを根底から支えていたのも城嶋です。また、作詞のセンスもあり、TOKIOの楽曲の中でもその才能を遺憾なく発揮してきました。

冠番組『ザ!鉄腕!DASH!!』で活かすため、農業や土木に関する資格を取得。実践的な知識を獲得しようと勉強を続ける努力家な姿勢が高く評価されています。

プライベートでは、タレントの菊池梨沙と2019年に結婚し、翌年には第一子が誕生するなど、家庭も大切にする姿が印象的です。その温厚で優しい人柄は、共演者やスタッフからも信頼され、長年にわたり愛され続けています。

株式会社TOKIOでは取締役社長としても活動し、グループの社会貢献活動やメンバーのサポートに尽力してきました。その多才な才能と人柄で、今後も多方面での活躍が期待されています。

松岡昌宏(まつおか まさひろ)

引用:STARTO ENTERTAINMENT

生年月日:1977年1月11日

年齢:48歳(2025年8月現在)

出身地:北海道

血液型:A型

星座:やぎ座

メンバーカラー:紫

入所日:1989年10月26日

松岡昌宏は、スタイリッシュなビジュアルと男気溢れる性格で多方面から慕われてきたメンバーです。

バンド内ではドラムを担当しており、株式会社TOKIOでは副社長および広報担当としても活躍しました。少年期から芸能界に憧れ、13歳で自らジャニーズ事務所(現:SMILE-UP.)に履歴書を送って合格。SMAPのバックダンサーやドラマ出演を経て、1994年にTOKIOとしてCDデビューしています。

松岡は俳優としても高く評価され、1997年にドラマ『サイコメトラーEIJI』で主演を務めると、同作以降、数々の話題作に出演するようになりました。

ドラマ『家政夫のミタゾノ』や『死役所』でも主演を務め、民放全局の連続ドラマ主演を達成するなど、多方面で活躍しています。また、映画『ゴジラ FINAL WARS』でハリウッド・レッドカーペットを踏むなど国際的な舞台にも立ちました。この他にも、舞台演出やプロモーションビデオの制作も手掛け、クリエイティブな才能を発揮しています。

性格面では「松兄」の愛称で親しまれ、穏やかで面倒見がよく、共演者からも慕われる存在です。サウナや温泉が趣味で、物持ちが良く丁寧な生活を重視。現在は、東京と函館の二拠点生活を送りながら、プライベートの時間も大切にしているそうです。

俳優としての体力やアクションスキルも高く、共演者からはプロフェッショナルとして信頼される人物です。

国分太一(こくぶん たいち)

引用:STARTO ENTERTAINMENT

生年月日:1974年9月2日

年齢:50歳(2025年8月現在)

出身地:東京都

血液型:O型

星座:おとめ座

メンバーカラー:青

入所日:1988年1月31日

国分太一は、タレント・司会者・アイドルとしてマルチに活躍してきたメンバーです。株式会社TOKIOでは取締役副社長・企画担当を務めており、穏やかで努力家、周囲に気配りのできる人柄が魅力で、共演者やスタッフから厚い信頼を寄せられていました。

ジュニア時代は平家派やスケートボーイズに所属し、SMAPのサポートメンバーも経験。1994年にTOKIOとしてCDデビューすると、キーボードとコーラスを担当しています。

デビュー後は俳優としても活躍し始めた国分。映画『しゃべれども しゃべれども』では、落語家役として本格的な落語にも挑戦し、第62回毎日映画コンクールにおいて主演男優賞に輝いています。

司会者としても才能を発揮し、TBS系『いっぷく!』『白熱ライブ ビビット』やテレビ東京『男子ごはん』などの帯番組で長期レギュラーを務め、幅広い層から支持を集めました。家庭菜園や料理など趣味にも精力的で、実生活でも多才さが垣間見えます。

音楽面では、余っていた楽器からキーボードを始め、シンセサイザーやグランドピアノなどを自在に操り、TOKIOの楽曲制作やアレンジに柔軟に対応しました。『ザ少年倶楽部プレミアム』では、初代MCを務めると同時に、毎回ゲストや出演者に合わせて楽曲アレンジを担当し、オリジナルとはまた異なる魅力を視聴者に届けてきました。

2025年6月25日、国分に複数のコンプライアンス違反が発覚したことにより無期限の活動休止措置をとっています。

脱退したメンバー

ここからは、TOKIOから脱退したメンバーをご紹介していきます。

長瀬智也(ながせ ともや)

生年月日:1978年11月7日

年齢:46歳(2025年8月現在)

出身地:神奈川県

血液型:O型

星座:さそり座

メンバーカラー:赤

入所日:1990年10月 ※諸説あり

長瀬智也はTOKIOのフロントマンとして活躍した最年少メンバー。ジャニーズ事務所(現:SMILE-UP.)在籍時はTOKIOでボーカルとギターを担当し、作詞・作曲・編曲も手掛けるなど音楽面でグループを支えました。デビュー以降も『明日を目指して!』など自作曲を多数発表。ソロプロジェクトや後輩グループへの楽曲提供でも才能を発揮し、多方面から高く評価されました。

俳優としても活躍しており、1995年に『カケオチのススメ』でドラマ初主演を果たすと、『池袋ウエストゲートパーク』『タイガー&ドラゴン』『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』など多数の作品で主演を務めています。

映画『ソウル』では第15回石原裕次郎新人賞を受賞し、2016年には『フラジャイル』で主演男優賞を獲得するなど演技力も高く評価されました。

2021年にTOKIOを脱退および事務所退所後は、芸能活動にとらわれず「表現者」として自由なスタイルを確立。Instagramで音楽やバイク、釣りなどの趣味を発信し、2023年にはKODE TALKERSを結成して音楽活動を再開しました。

父親が元プロバイクレーサーという影響もあり、バイク愛好家としても知られています。2025年7月には、「2025 MCFAJ クラブマン ロードレース 第2戦」に出場し、見事第2位に輝きました。TOKIO時代の多才さと自由な表現力を併せ持つ人物として、多くのファンに支持され続けています。

山口達也(やまぐち たつや)

生年月日:1972年1月10日

年齢:53歳(2025年8月現在)

出身地:埼玉県

血液型:O型

星座:やぎ座

メンバーカラー:黄色

入所日:1988年10月31日

TOKIOの元メンバーである山口達也は、グループ内ではボーカルやベースを担当し、歌手としての活動だけでなく、俳優や司会、声優としても幅広く活躍。特に『ザ!鉄腕!DASH!!』では自ら潜水士資格や一級小型船舶操縦士を取得し、体を張った企画に挑むなど、多才で行動力のある人物として知られました。また、東日本大震災後にはDASH村での除染活動や現地視察を行うなど、社会貢献にも積極的でした。

一方、2010年代には双極性障害やアルコール依存症に悩み、2018年の不祥事により芸能界を事実上引退。現在は「株式会社山口達也」を立ち上げ、アルコール依存症や依存症全般に関する講演活動、企業向けの危機管理セミナーなど、実業家・教育者として活動しています。プライベートでは趣味のサーフィンを楽しみ、家族との関係も大切にしており、音楽やバイクなどの趣味も継続。芸能界で培った行動力や影響力を、現在は社会貢献と教育活動に生かしている人物です。

その他の初期メンバー 

小島啓(こじま ひろむ)

小島啓は、1976年10月24日生まれ、千葉県出身で東京都育ちの元メンバーです。1990年にジャニーズ事務所(現:SMILE-UP.)に入所し、当初はSMAPのバックダンサーを務める「SMAP学園」に所属。その後、同年4月に男性アイドルグループ・TOKIOの初期メンバーとして参加しました。

しかし、CDデビューを控えた1994年に突如脱退し、芸能界からも引退。その結果、TOKIOの正式メンバーには長瀬智也が加わることになりました。活動期間は短かったものの、TOKIO結成期に関わったメンバーの一人です。

脱退・解散の背景

TOKIOの解散は、一つの不祥事だけでなく、メンバー個々の人生の選択が重なった結果といえます。

2018年:山口達也の不祥事による脱退

2021年:長瀬智也の脱退および芸能界引退

2025年6月25日:国分太一のコンプライアンス違反発覚を受け、無期限活動休止

TOKIOも正式に解散し、所属会社「株式会社TOKIO」も廃業方針を発表

城島茂と松岡昌宏は活動を続けていますが、グループとしての活動は完全に終了しました。こうした流れはファンにとって寂しいものの、各メンバーが新しい道を歩むきっかけともなりました。

TOKIOの魅力や文化的影響

ファンにとっては寂しい解散の仕方となってしまいましたが、TOKIOは平成の日本を元気づけた国民的アイドルに違いありません。

その魅力は、単なるアイドルとしての音楽活動にとどまらず、楽器演奏を主体としたバンドスタイル、幅広いメディアでの活躍、そして社会貢献への積極的な取り組みにあります。

こちらでは、そんなTOKIOの魅力や文化的影響、愛され続けた理由について深堀していきます。

高クオリティの演奏技術と楽曲の独自性

TOKIOはバンド形式のアイドルグループとして、メンバー自身が演奏を担当し、クオリティの高い音楽活動を展開してきました。ボーカルや楽器演奏だけでなく、作詞・作曲・編曲にまでメンバー自身が関わることで、単なるアイドルソングにとどまらない深みのある楽曲を生み出してきました。この音楽的な技術の高さと独自性が、TOKIOならではの魅力の一つです。

社会貢献や復興支援を積極的に展開

TOKIOは音楽活動だけでなく、社会貢献や復興支援にも積極的に取り組んできました。J-FRIENDSとして阪神淡路大震災の復興支援に携わった経験をはじめ、東日本大震災では、福島を中心に被災地支援を積極的におこなっています。

1995年にスタートしたバラエティ番組『ザ!鉄腕!DASH!!』では、農業や漁業、環境保全、地域復興といった社会性の高いテーマをエンターテインメントとして展開し、国民的番組へと成長しました。社会に対する責任感と行動力も、彼らの大きな魅力のひとつです。

愛される人柄とバラエティでの存在感

TOKIOのメンバーは、音楽や社会活動での実力だけでなく、個々の人柄やチームワークの良さも光ります。メンバー同士の信頼関係や支え合いが、グループとしての強固な結束力を生み出してきました。また、バラエティ番組での自然体でユーモアあふれるトーク力や柔軟な対応力は、多くの視聴者に親しまれ、ジャニーズ事務所(現:SMILE-UP.)の黄金期を支えた中心メンバーとして存在感を確立しました。

TOKIOの代表曲5選

数ある名曲の中から、TOKIOの代表曲を5曲厳選してご紹介していきます。

LOVE YOU ONLY(1994年)

TOKIOのデビューシングルとしてリリースされたこの曲は、ジャニーズ(現:SMILE-UP.)のアイドルとしての華やかさと、バンドとしての演奏力を両立させた記念碑的ナンバーです。発売と同時にテレビやラジオで大きな話題を呼び、TOKIOを一躍全国区の存在へと押し上げました。紅白歌合戦への初出場曲にもなり、ファンの間では「TOKIOといえばこの曲」と言われるほどの代表曲です。デビュー時から自分たちで楽器を演奏するスタイルを貫いてきた彼らにとって、この曲は“演奏するアイドル”という独自の立ち位置を確立する出発点でもありました。

花唄(2002年)

「花唄」(はなうた)は、松岡昌宏が主演を務めた日本テレビ系土曜ドラマ『ナースマン』の主題歌で、TAKESHIが歌詞を、元センチメンタル・バスの鈴木秋則が作曲を担当しました。。また、第53回NHK紅白歌合戦でも披露され、グループの代表曲の一つとして位置づけられています。歌詞の中で「肩落とす僕」「泣きだしそうな僕」といった表現が使われ、主人公の内面の葛藤や切なさが伝わってきます。しかし、曲調は明るく、桜が咲き誇る美しい情景が浮かび上がります。歌詞とメロディーの対比が印象的で、グループの音楽性の幅広さを示す一例として、多くのファンに愛され続けてきた楽曲です。

AMBITIOUS JAPAN!(2003年)

JR東海の東海道新幹線キャンペーンソングとして制作されたこの曲は、“旅立ち”や“挑戦”をテーマにした前向きなメッセージソングです。スピード感あふれるメロディと清涼感のあるアレンジは、疾走する新幹線のイメージと重なり、全国の人々の耳に強烈に残りました。テレビCMで繰り返し流れたことで、TOKIOを知らない世代や地域の人々にも広く認知され、国民的ヒットとなります。未来へ向けて希望を抱く歌詞は、多くの人々にとって人生の応援歌のように響き、TOKIOの“国民的バンド”としての地位をさらに高めた楽曲といえるでしょう。

宙船(そらふね)(2006年)

中島みゆきが作詞・作曲を担当し、TOKIOに楽曲提供したことで大きな話題となったロックバラード。力強い歌詞は「誰かに委ねるのではなく、自分の人生の舵は自分で切るべきだ」というメッセージを持ち、時代を生き抜く人々へのエールとも受け止められました。イントロから響く重厚なギターと、長瀬智也のパワフルなボーカルが絶妙に絡み合い、聴く人の胸を強く打ちます。発売当時はオリコンチャートで大ヒットを記録し、社会現象的な人気を獲得。多くのテレビ番組や学校の合唱でも取り上げられ、世代を超えて愛される一曲となりました。

リリック(2013年)

長瀬智也が書き下ろした「リリック」は、2013年に放送されたドラマ『泣くな、はらちゃん』の主題歌です。このドラマは、漫画家であるヒロインが描いた漫画の主人公が現実世界に現れ、ヒロインに恋をするというファンタジックなストーリー。歌詞には、長瀬自身の思いや経験が色濃く反映されており、ドラマの世界観とも見事に調和しています。音楽的には、シンプルでありながらも心に残るメロディーが大きな特徴。長瀬の力強い歌声と相まって、聴く者の心を打つ作品となっています。

TOKIOメンバーの今後について

こちらでは、現時点で発表されている情報をもとに今後のTOKIOメンバーの活動について触れていきます。

2025年7月6日、松岡昌宏はラジオ番組「松岡昌宏の彩り埼先端」で、解散後の活動について初めてコメントしました。

松岡はラジオを継続することを明言し、YouTubeについては落ち着いたタイミングで再開する予定だと語っています。また、城島茂と松岡は日本テレビ系「ザ!鉄腕!DASH!!」への出演を続ける方針で、グループ解散後もメディアを通してファンとの接点は維持される見込みです。

城島茂も、7月10日放送のMBSラジオ「アッパレやってまーす!」に生出演し、リスナーに向けて初めて解散の経緯を語りました。城島によると、解散については残るメンバー間で話し合い、熟慮の末に決定されたものだと説明しました。また、報告が遅れたことを謝罪し、今後は個々の活動に移るものの、ラジオ番組での活動は続ける意向を示しています。

今後は城島、国分、松岡のそれぞれが個々の道を進む方針で、現時点ではSTARTO ENTERTAINMENTとエージェント契約を結んでいますが、契約の継続については改めてじっくり話し合いながら決めていくとのことです。松岡は、活動の基盤は維持しつつ、今後はそれぞれの挑戦を見据えていると語りました。

最後に

TOKIOは、デビューから30年以上にわたり、音楽、バラエティ、ドラマなど幅広いジャンルで活躍し、世代を超えて愛されてきたグループです。個性豊かなメンバーそれぞれが高い技術や人柄でファンに親しまれ、グループとしての結束力や温かみのある人間関係も大きな魅力でした。

解散後も、城島茂と松岡昌宏は様々なメディアを通して個々に活動を継続、他のメンバーもそれぞれの道で新たな挑戦を始めています。

これだけ長く愛され続けたグループが終わりを迎えるのは寂しいですが、TOKIOの歩みと魅力は、今後もメンバー個々の活動を通じてファンの心に残り続けるでしょう。