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KAT-TUN(カトゥーン)メンバーの初期から現在までの活動を総まとめ!メンバーカラーや血液型などプロフィールも徹底解説

KAT-TUN(カトゥーン)メンバーの初期から現在までの活動を総まとめ!メンバーカラーや血液型などプロフィールも徹底解説

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KAT-TUNとは?

画像引用:Storm Labels

KAT-TUNは2001年に結成され、当初は6人のメンバーでスタートしました。

グループ名はメンバーの名字のイニシャルをつなげたもので、“勝運(かつうん)”にかけられています。

さらに“cartoon(漫画のように、1ページ読むとまた次のページが読みたくなる)”という意味も込められ、ファンを意味する“-(ハイフン)”もグループ名に加えられました。

初期メンバーは亀梨和也、赤西仁、田口淳之介、田中聖、上田竜也、中丸雄一の6人です。

彼らはジャニーズJr.(現・ジュニア)として活動を開始し、2006年にメジャーデビューを果たしました。

デビュー当初から多くのファンを魅了し、瞬く間に人気を博しました。

KAT-TUNのメンバー変遷

KAT-TUNは2006年のデビュー時には6人だったメンバーが、最終的には3人となっています。


名前在籍期間
亀梨和也2001年〜2025年
中丸雄一2001年〜2025年
上田竜也2001年〜2025年
赤西仁2001年〜2010年
田中聖2001年〜2013年
田口淳之介2001年〜2016年

活動途中に脱退したメンバーは、赤西仁、田中聖、田口淳之介の3人です。

メンバーの変遷と、それぞれのプロフィールを深堀りしていきましょう。

解散時のKAT-TUNメンバーのプロフィール

解散時のメンバーは亀梨和也、上田竜也、中丸雄一となっています。

プロフィールや現在の活動について見ていきましょう。

亀梨和也(かめなし かずや)

画像引用:亀梨和也オフィシャルサイト

生年月日:1986年2月23日
年齢:39歳(2025年8月19日現在)
出身地:東京都江戸川区
身長:171cm
血液型:B型
星座:うお座
入所日:1998年11月8日
趣味:野球、料理
メンバーカラー:ピンク

亀梨和也は、端正な顔立ちと大人の色気を漂わせる存在感で、多くのファンを魅了してきました。

子供の頃から野球をしており、小学生のときには日本代表に選ばれるほどの実力を持っていました。プロ野球選手を目指していたほどで、ジャニーズ事務所(現・STARTO ENTERTAINMENT)入所後も練習を優先してレッスンを抜けてしまうことがあったというエピソードも残っています。

野球愛は今も健在で、2011年から7年間、日本テレビ系プロ野球中継のベースボールスペシャルサポーターを務めました。地元の球場で渡辺翔太(Snow Man)や堂本光一(DOMOTO)らと野球を楽しむ姿や、リーグチームにボールを寄付するなど、野球界への貢献も続けています。

俳優としては『3年B組金八先生』や『ごくせん2』、『野ブタ。をプロデュース』など話題作に出演。

特に山下智久とW主演した『野ブタ。をプロデュース』では、主題歌「青春アミーゴ」を“修二と彰”としてリリースし、発売からわずか4日でミリオンを達成しました。

その後も亀と山Pとして再びユニットを組み、2017年には「背中越しのチャンス」が“ボク運ダンス”としてSNSで大流行しました。

真面目でストイックな性格でも知られ、役作りのために生活スタイルを徹底したり、コンサート前には食事制限をおこなったりと、常に努力を惜しまない姿勢がファンを惹きつけています。

近年はYouTubeチャンネル・KAMENASHI KAZUYAでの活動も注目されており、食事を楽しむ企画や、目黒蓮(Snow Man)や田中樹(SixTONES)ら事務所の仲間を招いた動画が好評を博しています。

上田竜也(うえだ たつや)

画像引用:STARTO ENTERTAINMENT

生年月日:1983年10月4日
年齢:41歳(2025年8月19日現在)
出身地:神奈川県
身長:170cm
血液型:B型
星座:てんびん座
入所日:1998年6月
趣味:ボクシング、格闘技、ピアノ
メンバーカラー:青

上田竜也は、熱血漢でありながら多彩な表現力を持つKAT-TUNのメンバーです。

レギュラー番組『炎の体育会TV』では後輩に厳しく指導する“ビジネスヤンキー”キャラが定着しましたが、実はKAT-TUN初期は中性的でアンニュイな雰囲気を持っていました。

セルフプロデュース力が高く、妖精が見える“不思議ちゃんキャラ”やビジュアル系、甘栗色のボブで可愛さを前面に出した“甘栗期”など、これまで何度もキャラ変を重ねてきた経歴があります。特に“甘栗期”は現在もファンの間で根強い人気を誇っています。

趣味のボクシングは10年以上続けており、ドラマで天才ボクサーを演じたり、総合格闘技のイベント『RIZIN』にゲスト出演したりと、格闘技への造詣も深い人物です。

櫻井翔を“アニキ”と慕い、「翔くんのためなら身代わりで出頭できる」と語ったエピソードも残しています。

舞台経験も豊富で、2014年には蜷川幸雄演出のBunkamura25周年記念公演『冬眠する熊に添い寝してごらん』で座長を務め、実力派俳優陣とともに厳しい稽古を乗り越えました。

2020年からは堂本光一主演『SHOCK』シリーズでライバル役を務めるなど、役者としての存在感も確立しています。

2024年に自身がプロデュースしたハロウィンフェス『MOUSE PEACE FES.2024 1st Bite』を開催し、音楽面での挑戦も話題になりました。

2025年9月からは音楽劇『謎解きはディナーのあとで』にも出演予定で、歌、ピアノ、作曲の才能を活かした活躍が期待されています。

中丸雄一(なかまる ゆういち)

画像引用:STARTO ENTERTAINMENT

誕生日:1983年9月4日
年齢:41歳(2025年8月19日現在)
出身地:東京都
身長:175cm
血液型:O型
星座:おとめ座
入所日:1998年11月8日
趣味・特技:ボイスパーカッション、絵を描くこと、フルーツカット
メンバーカラー:紫

中丸雄一は、個性派ぞろいのKAT-TUNにおいて“普通すぎるほど普通”と称される一方、ライブではドS発言を連発するため「帝王」と呼ばれることもあるメンバーです。

ジャニーズ事務所(現・STARTO ENTERTAINMENT)入所のきっかけは、中学の同級生の女子に勧められ、書類一式をそろえてもらったことでした。

特技のボイスパーカッションはデビュー後に本格的に習得し、コンサートでも披露。幼い頃から好きだったイラストはジャニー喜多川氏にも褒められ、2020年には『Smile Up Project』の公式SNSで4コマ漫画を発表するなど、多彩な表現力を見せています。

また舞台『中丸雄一の楽しい時間』シリーズでは、自ら作・構成・演出を手がけ、自身の特技や世界観を存分に表現。2020年には第4弾が生配信されるなど、セルフプロデュース力の高さでも注目されました。

学業面でも努力家で、24歳のときに早稲田大学eスクールに入学し、5年かけて卒業。中退者が多いなかで学び切った姿勢はファンの間でも尊敬を集めています。

一方で、2024年8月に軽率な行動が報じられ、本人の意向により一定期間謹慎。その後2025年1月に復帰を果たしました。

過去には『シューイチ』でコメンテーターとしてレギュラー出演、YouTube・よにのチャンネルにも出演していましたが、2024年8月に報道による活動休止を受けて、その後も復帰はされていません。現在も出演見合わせとなっており、現時点での復帰の情報はありません。

一方で、ファンクラブ・中丸通信が立ち上がり、2025年には初のリアルイベント『中丸通信リアルイベント#1』が開催されるなど、ファンとつながる新たな活動もスタートしています。

これからどのような形で再び表舞台に立つのか、多くの注目が集まっています。

元KAT-TUNメンバーのプロフィール

KAT-TUNを支えてきたメンバーのなかには、グループを離れ、それぞれの道を歩み始めた人たちもいます。

脱退したのは 赤西仁、田中聖、田口淳之介の3人。現在はソロ活動や音楽、俳優業など、それぞれが新たなステージで活躍を続けています。

彼らの歩みと脱退理由、現在の姿を詳しく見ていきましょう。

赤西仁(あかにし じん)

画像引用:JIN AKANISHI OFFICIAL SITE

生年月日:1984年7月4日
年齢:41歳(2025年8月19日現在)
出身地:東京都江東区身長:175 cm
血液型:O型
星座:かに座
入所日:1998年11月8日
メンバーカラー:赤(KAT‑TUN在籍時)

憂いを帯びた端正なルックスと唯一無二の存在感で、多くの女性ファンを虜にしてきた赤西仁。亀梨和也とのコンビは“仁亀”と呼ばれ、グループ内でも圧倒的な人気を誇りました。

しかし、2010年7月16日にKAT-TUNを脱退し、9年間にわたる活動に終止符を打ちます。脱退理由は、方向性の違い。以前から海外志向が強かった赤西は、音楽活動の拠点を海外に移したいという想いを抱いていました。

その後、2011年にはシンガーソングライターのジェイソン・デルーロとコラボし、全米デビューを実現。

2013年にはハリウッド映画『47RONIN』に出演し、俳優としても世界に挑戦しました。近年は中国での活動も増え、Weiboのフォロワー数は300万人を超えるなど、グローバルに支持を広げています。

プライベートでは2012年に黒木メイサと結婚し、2児の父となりましたが、その後離婚を経験。

2025年現在は音楽活動に全力を注いでおり、6月には錦戸亮とのユニットN/Aとして『N/A LIVE 2025 "THE MEN IN THE ARENA"』開催、2025年9月からはソロツアー『JIN AKANISHI LIVE TOUR 2025 "REDWEST"』を開催予定です。

赤西仁は、脱退後も進化し続ける姿をファンに届けています。

田中聖(たなか こうき)

画像引用:田中聖オフィシャルブログ

生年月日:1985年11月5日
年齢:39歳(2025年8月19日現在)
出身地:千葉県
身長:不明
血液型:B型
星座:さそり座
入所日:1998年
メンバーカラー:黄色

坊主頭と細い眉毛がトレードマークで、ギラギラとしたクールなビジュアルが印象的だった田中聖。

ラップを担当し、KAT-TUNの楽曲にエッジの効いた存在感を与えていました。

2013年9月30日、度重なるルール違反が理由とされ、KAT-TUNを脱退。ジャニーズ事務所(現・STARTO ENTERTAINMENT)も同時に退所します。

以降は音楽活動を中心にソロやバンドで活動を続けていました。YouTubeチャンネルを開設するなど新しい発信の形にも挑戦しましたが、その後は度重なるトラブルにより芸能活動からは遠ざかっています。

田口淳之介(たぐち じゅんのすけ)

画像引用:田口 淳之介 officialwebsite

生年月日:1985年11月29日
年齢:39歳(2025年8月19日現在)
出身地:神奈川県相模原市
身長:180 cm血液型:AB型
星座:いて
入所日:1999年5月16日
メンバーカラー:オレンジ(KAT-TUN在籍時)

オラオラ系のイメージが強かった初期KAT-TUNのなかで、爽やかで王子様的な雰囲気を放っていた田口淳之介。モデルのようなスタイルと明るいキャラクターで人気を集めました。

入所のきっかけは、フジテレビのバラエティ番組『SMAP×SMAP』を観てSMAPに憧れたことです。小学6年生のときに親に頼んで履歴書を送付しましたが、合格通知が届いたのは中学2年生になってからでした。

時間を経てつかんだチャンスを活かし、ジャニーズJr.(現・ジュニア)として活動を開始します。

2001年にはドラマ『お前の諭吉が泣いている』で連続ドラマ初出演。同年、NHKの音楽番組『ポップジャム』で堂本光一の専属バックダンサーを務めるために結成されたKAT-TUNのメンバーに選ばれ、グループ活動が本格化しました。

田口は2016年3月31日にKAT-TUNを脱退し、ジャニーズ事務所(現・STARTO ENTERTAINMENT)も退所しています。

脱退理由については当初、方向性の違いと説明し、後に「自分のやりたいことや生き方に挑戦しながら、リアルな人生を歩みたかった」と語っています。

退所後はソロアーティストとして活動を継続し、定期ライブ『Live in JT Home』シリーズを開催。

2025年には『田口淳之介スペシャルバンド ファイナルワンマン!?』など、自身の音楽活動を精力的におこなっています。

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伝説を刻んだKAT-TUNの軌跡

数々の伝説を生んだグループ・KAT-TUNの経歴をたどっていきます。

結成と全国ツアーの開催

2001年、KAT-TUNは堂本光一のソロコーナーの専属バックダンサーとして結成されました。

当時、堂本光一はNHKの音楽番組『ポップジャム』で司会を務めており、そのステージを支えるために選ばれたのが亀梨和也(K)、赤西仁(A)、田口淳之介(T)、田中聖(T)、上田竜也(U)、中丸雄一(N)の6人です。

2002年8月にはグループ初となる単独コンサートを開催。公演名は『KAT-TUN お客様は神サマーConcert 55万人愛のリクエストに応えて!!』と銘打たれ、55万件もの応募が殺到しました。圧倒的な注目度を集め、早くも次世代のスターとしての存在感を確立します。

さらに2005年には、亀梨和也と赤西仁が出演したドラマ『ごくせん』第2シリーズが社会現象級のヒットとなり、最終回の視聴率は32.5%を記録。

勢いそのままに、3月からは全国ツアー『Looking KAT-TUN 2005』を開催し、単独アリーナ公演を成功させることでデビューへの期待をさらに高めました。

史上初のデビュー前ドーム公演とデビュー

2006年1月29日、KAT-TUNのCDデビューが発表されました。専用のプライベート・レーベル・J-One Recordsが設立されるほどの力の入れようで、そのお膳立てからも事務所の期待の大きさが伝わってきます。

同年3月17日には、デビューを目前に控えた単独公演『KAT-TUN SPECIAL TOKYO DOME CONCERT Debut “Real Face”』を東京ドームで開催。CDデビュー前のアーティストが東京ドームで公演をおこなうのは史上初で、日本音楽史に刻まれる快挙となりました。

さらに3月22日には、シングル『Real Face』、アルバム『Best of KAT-TUN』、DVD『Real Face Film』の3作を同時リリース。そのすべてがオリコンチャート1位を獲得し、デビューと同時に社会現象を巻き起こしました。

デビュー直後から5月にかけて開催されたツアー『Spring Tour’06 Live of KAT-TUN“Real Face”』は、応募が殺到して急きょ10公演が追加されるほどの大盛況。

KAT-TUNはまさにトップアイドルとしての地位を確立していきました。

赤西の留学で一時的に5人体制へ

2006年7月に発売された2枚目のシングル「SIGNAL」もオリコン初登場1位を記録し、順調なスタートを切ったKAT-TUN。

しかし同年10月、赤西仁がアメリカへ語学留学するために芸能活動を一時休止することを発表しました。脱退ではないものの、赤西の復帰までは5人体制で活動していくこととなります。

人気ドラマ出演などで世間的な認知度の高い赤西の離脱は大きな痛手と見られていましたが、5人でリリースしたシングル「僕らの街で」も初登場1位を記録。グループの人気が揺るがないことを証明しました。

そして翌2007年4月、2作目のアルバム『cartoon KAT-TUN II You』にともなう全国ツアーの開催期間中に赤西が帰国。4月20日の復帰会見を経てツアー後半に合流し、メンバーとファンに大きな喜びをもたらしました。

東京ドーム連続公演の記録を樹立

2008年6月、3枚目のアルバム『KAT-TUN III -QUEEN OF PIRATES-』をリリースし、オリコン週間アルバムチャート1位を獲得。

アルバムを引っ提げたツアー『KAT-TUN LIVE TOUR 2008 QUEEN OF PIRATES』では、日本人アーティストとしては初となる東京ドーム4日間連続公演を成功させました。

さらに翌2009年4月には、4枚目のアルバム『Break the Records -by you & for you-』を発表。

同年のツアー『KAT-TUN LIVE Break the Records』では、前年の記録を大きく上回る東京ドーム8日間連続公演を実現し、自らの記録を塗り替える大偉業を達成しました。

赤西の脱退、正式に5人体制へ

2010年5月からスタートしたアリーナツアー『KAT-TUN LIVE TOUR 2010 PART1:ARENA TOUR』。

しかし、そのステージに赤西の姿はありませんでした。赤西は同月に再び渡米しており、ツアーには不参加。6月にリリースされた5枚目のアルバム『NO MORE PAIИ』の制作にも参加せず、先行シングルで収録済みだった音源のみでその存在を感じられる状況となっていました。

そして2010年7月、赤西のKAT-TUN脱退が正式に発表され、グループは5人体制で新たなスタートを切ることになります。

メンバーの離脱という大きなできごとを経たものの、脱退後初のツアー『KAT-TUN LIVE TOUR 2010 PART2:WORLD BIG TOUR』では、グループ初となる韓国・台湾での海外公演を含む全10公演を大盛況のうちに終え、逆境を乗り越えてさらに前進する姿を示しました。

10周年を迎え3人体制へ

2013年9月、ジャニーズ事務所(現:SMILE-UP.)は田中聖との専属契約を解除し、KAT-TUNからの脱退を発表しました。

理由は度重なるルール違反とされており、グループにとって大きな試練となりました。

さらにデビュー10周年を迎えた2016年3月には、田口淳之介の脱退も決定。長年グループを支えてきたメンバーの相次ぐ離脱に、ファンの間では大きな衝撃が広がりました。

その直後に開催された『KAT-TUN 10TH ANNIVERSARY LIVE TOUR “10Ks!”』は3人体制となって初めてのツアーであり、東京ドーム公演をもって“充電期間”へ入ることが発表されます。

グループは一時活動を休止し、それぞれが個人の活動に専念する新たな局面を迎えました。

再始動と15周年

2018年1月1日、KAT-TUNはついに充電期間の終了を宣言しました。

同年3月22日にはデビュー記念日に合わせ、ファンクラブ限定イベント『KAT-TUN 2018 FIRST IMPRESSION – Ask Yourself』を開催。久々のステージでファンの前に姿を現し、配信を見守るファンも含め大きな熱狂を呼びました。

その後も精力的に活動を続け、3人体制となって5年が経過した2021年にはデビュー15周年を迎えます。

記念しておこなわれた全国ツアー『15TH ANNIVERSARY LIVE KAT-TUN』は、コロナ禍で制約があるなかでも会場のファンとともに15年の歴史を祝う公演となりました。

さらに2021年末には、デビュー15年目にして初めて『NHK紅白歌合戦』に出場。デビュー曲を新たにアレンジした「Real Face#2」を披露し、お茶の間に健在ぶりを印象付けました。

度重なるメンバーの脱退で当初の半数となったものの、リリースしたシングルやアルバムはいずれもオリコン1位を獲得。紆余曲折を経てもなお、KAT-TUNは日本の音楽シーンで強い存在感を放ち続けました。

結成25周年で解散発表

2025年2月12日、STARTO ENTERTAINMENTからKAT-TUNに関するご報告として、同年3月31日をもってKAT-TUNが解散することが発表されました。

亀梨和也は同日をもって事務所を退所し、上田竜也と中丸雄一は個人契約として活動を継続していくことも併せて発表されています。

結成25周年という節目の年での解散に、多くのファンが衝撃を受け、SNSには悲しみと感謝の声があふれました。

解散後初の単独ライブを開催

2025年8月7日、KAT‑TUNが解散後初となる単独ライブ『Break the KAT‑TUN』 を開催することがサプライズ発表されました。

公演は11月8日(土) 千葉・ZOZOマリンスタジアムにて開催されます。

解散を迎えたグループが再びステージに立つという異例の大舞台に、多くのファンが熱い期待を寄せています。

公演名の『Break the KAT‑TUN』も、挑戦的で独創的なタイトルが“KAT-TUNらしい”と話題になっています。

さらに、開催日である11月8日は亀梨和也と中丸雄一、そして脱退メンバーである赤西仁の入所日という“運命的な日”でもあり、ファンの間ではエモすぎる日として盛り上がりを見せています。

KAT-TUNの代表曲

KAT-TUNのシングルやアルバムは数々のヒットを記録し、日本の音楽シーンに大きな影響を与えました。

ここでは代表的なシングルを紹介します。


シングル名リリース年評価
Real Face2006年デビューシングルにしてミリオンセラーを達成。作詞はスガシカオ、作曲はB’zの松本孝弘による豪華タッグ。
Keep the faith2007年赤西仁主演ドラマ『有閑倶楽部』の主題歌。メンバー主演ドラマとの相乗効果で大ヒット。
LIPS2008年亀梨和也主演ドラマ『1ポンドの福音』主題歌。ヘヴィロック調の攻撃的サウンドが話題を呼び、オリコン初登場1位を獲得。
DON’T U EVER STOP2008年初回限定盤を3種類同時発売し、それぞれに異なるユニット曲を収録した実験的シングル。6作連続でオリコン1位を記録。

数々の挑戦が生んだKAT-TUNの歴史を振り返ろう

KAT-TUNの初期から解散後の現在までのメンバーの活動や、メンバーカラー・血液型といったプロフィールも徹底解説しました。

デビュー前から東京ドーム公演を成功させ、数々のヒット曲や記録を残し続けた姿は、まさに挑戦を恐れないグループの象徴といえるでしょう。

解散後もそれぞれのフィールドで活躍を続ける3人と元メンバーたちのソロ活動や新しい挑戦もあわせてチェックしてみてください。


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